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大阪高等裁判所 平成10年(行コ)45号 判決 2000年1月18日

控訴人

大森鐵男

右訴訟代理人弁護士

岩佐英夫

井関佳法

被控訴人

宇治税務署長 磯野与志嗣

右指定代理人

比嘉一美

原田一信

豊田周司

吉原宏尚

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人が控訴人に対し平成五年三月一二日付けでした平成元年分以降の所得税の青色申告承認の取消処分を取り消す。

3  被控訴人が控訴人に対し平成五年三月一二日付けでした平成元年分から平成三年分の所得税の更正処分のうち、総所得金額が平成元年分について一〇八万七三六二円を、平成二年分について三七一万八二五三円を、平成三年分について五四六万一八四八円をそれぞれ超える部分、被控訴人が控訴人に対し平成五年三月一二日付けでした平成二年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定及び平成三年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定、被控訴人が控訴人に対し平成五年六月一〇日付けでした平成四年分の所得税の更正処分のうち総所得金額が四七四万三六三九円を超える部分、被控訴人が控訴人に対し平成六年七月七日付けでした平成五年分の所得税の更正処分のうち総所得金額が二六三万九八九一円を超える部分及び被控訴人が控訴人に対し平成六年七月七日付けでした平成五年分所得税にかかる過少申告加算税の賦課決定をいずれも取り消す。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者の主張

一  当事者の主張は、二、三項として当事者双方の当審における主張(控訴理由及び控訴理由に対する反論)の要旨を掲げるほかは、原判決の「事実」の「第二 当事者の主張」欄(原判決四頁六行目から同六五頁二行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する(但し、文中「原告」を「控訴人」と、「被告」を「被控訴人」と、「別紙」を「原判決添付別紙」と各読み替える。)。

二  控訴人の当審における主張(控訴理由)

1  控訴人の「謝罪要求」と青色申告承認取消処分の要件との関係

(一) 本件においては、平成四年八月二一日(以下、日時については、特に断らない限り平成四年の日時である。)の調査において調査対象となった三年間分の調査は完了しているし、一部調査未了の部分が残ったとしても、青色申告承認取消の要件としての、業務に係る帳簿書類の備付け等を大蔵省令で定めるところに従って行なっているかどうかを認識・確認するということと、帳簿や証拠書類の隅々までの数字を検討照合することとは別問題であり、控訴人には青色申告承認取消の要件に該当する事由はない。

しかるに、被控訴人は、控訴人が「謝罪」を要求して帳簿書類の提示を拒否したから右取消しの要件があると主張し、原判決はこれを是認する。しかし、原判決の判断は、租税法律主義の立場から納税者の権利を擁護するという姿勢、所得税法一五〇条一項の要件を厳格に検討するという姿勢を欠落させるという根本的な欠陥を有するのみならず、事実認定上も重大な事実誤認を犯している。

(二) 国税庁は昭和五一年に「税務運営方針」を制定し、税務調査は社会通念上相当と認められる範囲内で納税者の理解と協力を得て行うものであることに照らし、事前通知の励行に努め、現況調査も必要最小限度にとどめ、反面調査はやむを得ないと認められる場合に限って行うこととする旨定めている。また、ここ十数年来、欧米諸国において次々と納税者憲章が制定され、右憲章には、納税者は誠実と推定され、丁重に扱われなければならない旨定められている。税務調査とりわけ任意調査は、右税務運営方針や納税者憲章の精神に則って行われなければならない。

(三) 青色申告承認取消処分の取消しを求めた事案についてのリーデングケースとなる判例は、いわゆる荒川民商春日判決(東京地裁平成三年一月三一日判決、東京高裁平成五年二月九日判決)であり、同判決は、第一に、青色申告承認取消が納税者に大きな不利益をもたらすこと、帳簿書類の提示拒否が法規上明文をもって青色申告承認の取消事由とはされていないことから、取消事由の認定には慎重さが要求されることを指摘し、第二に、税務当局に対し帳簿の備付け状況等を確認するために社会通念上当然に要求される努力を求め、第三に、提示拒否と評価され得る事実の有無の判断は、一定の時点においてのみ判断されるべきではなく、調査の全過程を通じて判断されるべきことを要求している。

本件における「社会通念」とは、プライバシーのもっとも尊重されるべき他人の寝室に無断で侵入した場合には、事実を認めて謝罪し、これを繰り返さないとの改善努力を表明すること以外にはないというべきである。

(四) 控訴人らは、当初から被控訴人に対する協力姿勢を有し、再三の調査のいずれの時点においても、帳簿書類を用意して提示しており、結果的に被控訴人の部下職員が調査を拒否したのに過ぎない。

(五) 前記春日判決の事案、東山企業組合の事案(京都地裁平成六年一一月七日判決)、丸田事件の事案(横浜地裁平成七年六月二一日判決、東京高裁平成八年九月三〇日判決)は、いずれも青色申告承認取消についての納税者の主張が認められた事例であるが、これらの事案と対比しても、本件の被控訴人の対応は一層不当と見られるものであり、本件青色申告承認取消処分の不当性は明らかである。

2  八月二一日の調査経過に関する原判決の事実誤認

(一) 原判決は、控訴人が本件調査で提示した帳面と甲3の元帳とは別物であり、また、控訴人が応接間のテーブルの上に帳簿書類を用意していたなどと認定する。しかし、甲3に書き込まれた「税ム所書」等の記載は平石が静香に対し帳簿処理について説明した際書き込んだもので、甲3は静香が提示したものに間違いはないし、その記載も調査時のままであって、控訴人らにおいて一切手を加えてはいない。また、静香が大学ノート三冊をテーブル上に置いていたという事実もない。

原判決は、奧の和室へ湯原が入室したことについて、静香がこれを容認していた旨認定する。しかし、静香は、応接間で湯原に対し、「ここで待っていて下さい。」と念を押したのに、湯原において、これを無視して入室したのである。ただ、意向無視が一回目であったことから、静香が抗議を差し控えたに過ぎない。

(二) 原判決は、湯原の寝室への入室の経過について、控訴人らは湯原らが自宅内で各室を行き来することに強い違和感を持つことなく、金庫の鍵の所在場所と金庫内の書類の秘匿にのみ強い関心を示していた旨認定する。しかし、静香は、湯原らに対し、「ここで待って下さいね。」と告げ、寝室への入室を拒否する旨を明示していたものであり、このことは、静香が一回目に寝室へ入室したときには、湯原らが応接間で待っていたことからも明らかである。また、静香が金庫やその中味を見られることを承諾していない以上、金庫の置かれた寝室への入室自体も承諾するはずはない。

原判決は、湯原が静香に「一緒に見せて下さい。」と言ったとの被控訴人の主張を退け、その理由として、静香から抗議を受けた際、湯原らが入室の承諾を得たなどとして反論したとは認められないとする。しかし、黙示的にせよ入室の承諾を受けていたとすれば、控訴人らの抗議に対し湯原らはその旨の反論をするはずであって、それをしていないのは承諾を受けていないことを裏付けるものである。なお、原判決は、無断で寝室に入室したことについて抗議したとの静香の陳述には大きな疑問があって信用できないとするが、静香が湯原らに対し「税務署は寝室まで入っていいのか。」と詰問したことは、被控訴人自身が本件訴訟の当初から認めているところである。

原判決は、湯原・平石による静香に対する諸々の脅迫について、右事実を認めるには足りないとするが、「これがあったらどこ行っても何千万でも貸してくれまんねん。」などという発言が、税務職員が国民に対し自らの権限を真摯に説明する際に使う言葉でないことは明らかである。

(三) 原判決は、平石が繰り返し説得して預金通帳の提示を求めたところ、静香がこれに応じて預金通帳を取り出して平石らに提示したもので、湯原の入室等の問題については、控訴人らが宥恕して決着を見た旨認定する。しかし、静香が預金通帳を提示したのは、控訴人らは寝室無断侵入の違法性については引き続いて被控訴人の非を追求するつもりであったが、それとは別問題として、納税者として適正な税務調査の実現に向けての必要な協力をしたに過ぎない。

(四) 原判決は、甲4の録音テープについて、静香の発言は誘導的意図が窺えるとして全体が信用しえないかの如く述べる。しかし、右録音テープは、控訴人らが、被控訴人の部下職員の寝室無断入室という重大な違法行為の有無について、確かな証拠として残しておきたいと考えて録音したものであるから、経過の確認という意味では誘導尋問的になるのは当然である。また、その内容も湯原自身が無断侵入を自認していることは明らかであって、静香に何らかの意図的なものがあったとしても、税務職員は税務に精通したプロであって納税者との対応の仕方についても十分に心得ているはずのものである以上、その発言の信用性には何らの影響も与えないというべきである。

(五) 原判決は、八月二一日の調査では、売上に関しては、平成元年分の月別売上金額と銀行の入金額との照合、調査全期間分について、出面帳、請求書との照合等を残し、仕入に関しては、平成二年分及び平成元年分の右照合等、全期間を通じて納品書、請求書等による決済の状況の確認等を残したと認定する。しかし、当日午前一〇時から午後五時半までの長時間にわたる調査により、平成元年ないし三年分の帳簿書類の調査はもとより、昭和六二年、六三年分までの調査も完了しているものである。

三  被控訴人の当審における主張(控訴理由に対する反論)

1  控訴人の当審における主張二1について

(一) 八月二一日の調査が適法であること、その後の調査についても何ら違法な点はないこと、控訴人が帳簿書類を提示するために条件とする「謝罪要求」が、その前提を欠くのみならず、謝罪要求などの抗議が入れられることが帳簿書類等の提示を拒否する正当な理由になるものでないことも明らかである。

(二) 被控訴人の部下職員は、再三にわたり控訴人方に赴いて帳簿書類の提出に応じるよう繰り返し説得し、その内容の把握に努め、不在のときも連絡箋を置いたり、後に電話連絡するなどして帳簿書類の調査に努めたにもかかわらず、控訴人らは、謝罪を要求し、それがない限り帳簿書類の提示には応じないとの拒否の意思を明確にし、何らの正当な理由もなく帳簿書類を提示しなかったもので、そのため、部下職員は、帳簿書類の閲覧、検討をすることができず、控訴人の帳簿書類の備付け等が大蔵省令の定めるところに従って行われていることを確認することができなかったのである。したがって、本件は、控訴人主張の春日事件、東山企業組合及び丸田事件とは事案を異にする。

2  控訴人の当審における主張二2について

(一) 原判決は、甲3は八月二一日にテーブル上に置かれた三冊の大学ノートのうちの一冊であるが、その記載内容は八月二一日当時とは異なっていると判示したものに過ぎないし、静香が大学ノート三冊をテーブル上に置いていたことは証拠上明らかである。また、奧の和室への入室について、静香が湯原に対し、「ここで待っていて下さい。」と念を押したとの事実がないことは、静香が湯原の入室に何らの抗議もせず任意に調査に応じていることからも明らかである。

(二) 湯原が寝室に入室するについて、静香の黙示の承諾があったと推認すべきことは原審で詳述したとおりであり、原判決もほぼこれに沿う事実認定をしているところである。そもそも、静香が金庫の鍵の保管場所を見られたくないことを理由に、寝室への入室自体も拒否するとの明確な意思を有していたのであれば、湯原らに対し寝室への入室を拒否する明確な意思表明をするか、寝室の引き戸も閉めるなど断固として入室を拒否する態度をとったはずである。ところが、静香がこのような態度を表明していないことは明らかであって、静香は金庫の鍵の保管場所を見られることをさして意識しないまま寝室へ入室したと推認するのが相当であり、静香の黙示の承諾を認めた原判決は正当である。

また、本件全証拠によるも、控訴人が主張するような「捜査令状持ってきたろか。」などの湯原らの発言は認められないし、「何千万でも貸してくれる」云々の平石の発言は、静香を威迫するものではなく、税務署員の権限内容の説明の際のものであって、右発言だけで控訴人主張の威迫の事実は到底推認できない。

(三) 湯原が寝室へ入室した点について何らかの問題があったとしても、平石らの説得により控訴人らが再度帳簿書類を提示して調査に協力していること、更に八月二五日には、控訴人は、「不明点に関する回答ができたので来てほしい。」と連絡して調査に協力する態度を示していたのであるから、この問題は、平石らの説得に応じて控訴人らが宥恕して決着を見たとみるべきものである。

(四) 控訴人は、甲4の内容から控訴人の主張を裏付けようとする。しかし、甲4は、控訴人らが後日の有利な証拠とする意思の下に情を知らない湯原らに対し意図的になされた会話の内容を示すものであって、その信用性が極めて乏しいことは明らかである。また、その内容も、静香らが、「そやね、あんた。」などとあからさまに肯定の答えを求める誘導的な部分が多く、また、湯原らの答えも相づちの域を出ないものが多いのであって、いずれにしても湯原が無断入室を認めたとは到底認められない。なお、甲4は、控訴人に有利な部分だけを提出している疑いが濃く、この点からもその信用性には多大の問題があるものである。

(五) 調査がまだ完了していないこと、すなわち、被控訴人の部下職員が引き続き帳簿書類の確認を行う必要があり、帳簿書類の提示が完了していなかったことについては、九月四日の片岡らとのやり取りのなかで、控訴人ら自身が、湯原に解明を依頼された四点のメモ書きも含め、八月二一日の調査において指摘されていることに関し、まだ二、三点調べる必要のある箇所があることを認めていることからも明らかである。

第三証拠関係

証拠関係は、原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四当裁判所の認定及び判断

一  当裁判所も、本件更正処分の内容等を前提にした本件賦課決定は適法というべきであり、これらの処分の違法を前提とする控訴人の本件各請求は、いずれも理由がないので、これを棄却すべきものと判断する。この理由は、次のとおり補正するほかは、原判決の「理由」欄(原判決六五頁七行目から同一一〇頁二行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する(但し、文中「原告」を「控訴人」と、「被告」を「被控訴人」と、「別紙」を「原判決添付別紙」と各読み替える。)。

二  原判決の補正

1  原判決七〇頁一〇行目から同七一頁二行目までを次のとおり訂正する。

「 証拠(甲1の1、2、甲2から5、10、42、乙1から3、16、17、証人静香、同湯原、同平石、同片岡、検証の結果、ただし甲4、5、10、42、証人静香、同湯原、同平石の各証言中の信用しない部分は除く。なお、証人静香の証言は特に断らない限り原審及び当審のいずれも含む趣旨である。)並びに弁論の全趣旨によると、次の各事実が認められる。」

2  同七二頁二行目から同七六頁九行目までを次のとおり訂正する。

「(三) 平石と湯原は、静香から控訴人は仕事で不在であるが経理は自分がしているとの説明を受けたので、身分証明書等を提示して改めて税務調査に赴いたことを告げ、静香から原判決添付別紙2「原告の自宅見取図」表示の応接間に案内された。

平石と湯原は、静香から控訴人の業務等の聴取を済ませた後帳簿の提示を求め、静香が控訴人の帳簿であると言うテーブル上の三冊の大学ノートを点検した。右大学ノートは、被控訴人の事前の要請に応じて控訴人らが予め準備して応接間のテーブルの上に置いていたもので、そのうちの一冊が甲3であるが、その記載内容は当時のものと証拠として提出された後のものとは同一ではない。右大学ノートには、売上及び仕入の月別合計額が記載され、経費額が支払毎に記載されていた。

平石が右大学ノートに記載された金額の基になる領収書、請求書を求めたところ、静香は、「取ってきます。」と答えて奧の和室に行きかけた。平石は、控訴人の日常の帳簿の記載状況及び原始記録の保存状況を確認する必要があると考え、「一緒に見せてください。」と告げて湯原に同行するよう促した。静香は、平石の告げたことに対し何も答えなかったが、湯原を制止しようともしなかったので、湯原は、静香の後について奧の和室に入室した。

静香は、奧の和室の床の間の前で領収書綴りの入った箱を応接間に持ち運ぼうとしたが、湯原から右箱の下にある箱について、「それは何ですか。」と尋ねられたのに対しても、「菓子箱で、中味は空です。」と答えてその場で中味を見せて確認させるなど普通に応答しており、湯原の入室に対して何らの抗議もしなかった。

平石は、静香が応接間に持って戻った経費に関する領収書綴りを見た後に、更に、静香に対し、売上に関する領収書控、請求書控の提示を求め、これに応じて、静香は、和室の箪笥上のキャビネットの中から領収書控をとって戻った。

その後、平石は、静香に対し、預金通帳の提示を求めたところ、静香は、「取ってきます。」と言って、応接間との境の引き戸を開け、預金通帳の入った金庫の置かれた寝室に入った。しかし、静香は、このときも、湯原らに対し、入室を制止する趣旨の発言はしておらず、寝室の引き戸も静香が入室した状態で開けたままにしていた。

一方、湯原は、静香が入室を制止する様子もなく引き戸も開けたままにしていたことから、他の部屋と同様に静香が入室を容認しているものと思い、静香のすぐ後を同人に従って入室した。入室した湯原は、室内にベッドが置かれてあり寝室であることに気付いたが、静香がしゃがみこんだ姿勢でベッドの横の金庫を開けて中のものを取り出そうとしていたことから、その背後から、「金庫の中にある箱や書類も見せてください。」と声を掛けた。静香は、湯原が寝室に入室し、しかも金庫を開けているところを同人に見られたことに驚き、強い口調で、「出ていって。」などと言いながら両手で押し出すようにして湯原を寝室から退出させた。

応接間に戻った静香は、湯原らに対し、「税務署は寝室にまで入っていいのか。」、「子供にも言っていない金庫の鍵の隠し場所を見られた。泥棒が入ったら責任をとってくれるのか。」、「帰って。」などと抗議した。

平石は、静香に対し、現物確認調査の必要性を説明すると共に、質問検査章と身分証明書を示して、「税務職員には守秘義務があり、他人には控訴人らの金庫の鍵の隠し場所を言ったりはしない。」、「この身分証明書はサラ金に持っていったら何千万円でも貸してくれる。それくらい大事なものです。」などと説得した。しかし、静香は、「このごろは警察でも信用できないのに。」などと言って納得せず、平石らの上司に電話をすると言い出した。そこで、平石は、平尾統括官に電話をし、静香に代わった。

静香は、電話に出た平尾統括官に対し、「税務署の職員は金庫の鍵の隠し場所や金庫の中まで見る権利があるのか。」などと詰問した。これに対し、同統括官は、「調査に当たっては帳簿や記録のありのままの状態を見せてもらいたい。」、「調査には協力してほしい。」などと話して理解と協力を求める旨説得した。

(四) 静香と平尾統括官との電話が終了した後、更に、平石が繰り返し説得し、再度預金通帳の提示を求めた結果、静香は、金庫の中の調査には応じられないが、帳簿や貯金通帳は見せてもよいとの態度を示すに至り、改めて寝室から金庫内に戻しておいた預金通帳を取り出した。なお、このとき、平石は、静香の承諾を得て寝室に入室したが、金庫の中は確認しなかったものの、その中に封筒様の物が見えたことから、静香に対し、「その封筒様のものは何ですか。」と尋ねたところ、静香は、「弟の権利証が入っている。」と答えたことがあった。

平石らが応接間で預金通帳を調べていた同日午前一〇時三五分ころか四〇分ころに控訴人が帰宅した。

静香は、控訴人にそれまでの調査の経過を説明し、平石らも、控訴人に経過を説明して理解を求めた結果、控訴人も、金庫の中の確認には応じられないが、帳簿書類の調査には協力するとして平石らの調査に一定の理解を示すに至った。

そこで、平石らは、控訴人と静香の了解を得て、午前一一時ころから大学ノート、売上に関する領収書控、請求書控、経費に関する領収書綴りの確認作業を続けた。その結果、売上に関する領収書控から判明した月二万円の収入及びハワイ旅行費用の処理如何、売上の「帳端」の問題が判明し、控訴人らは、それを調査すると約束した。そして、控訴人は、午後からの調査にも協力してほしいと要請した平石に対し、昼からも仕事に出るが調査には協力すると答え、静香もこれに同調した。」

3  同七八頁一行目から同頁五行目までを次のとおり訂正する。

「(六) 八月二五日、静香は、湯原に対し、「二一日の時の不明点が解明できたので、今日来てほしい。」との電話連絡をしたが、湯原は、その日には別の用件があったのでこれを断り、九月四日に調査に赴くことを約束した。

同月二六日、湯原は、控訴人の得意先である谷村建設に照会書を発送し、控訴人との取引金額、決済方法等の回答を求めた。ところが、その直後、控訴人は、被控訴人の調査を受けた谷村建設から、同建設の得意先である日本和装の棚板の受注をめぐって同建設を外して取引をしているのではないかとの非難めいた指摘を受けたことから、谷村建設の指摘により被控訴人が反面調査をしたことを知り、強い不快感を抱くと共に、帳簿書類を確認させることにより今後も同様な反面調査が行われるのではないかとの懸念を抱くようになった。

控訴人が、一旦は了承した帳簿書類等の提示の問題について、湯原らの寝室立入行為についての謝罪要求が入れられない限りこれに応じられないとの対応をとるに至った最大の動機は、この反面調査の問題であった。」

4  同八七頁七行目から同九一頁九行目までを次のとおり訂正する。

「(二) 控訴人は、静香が帳簿書類を奧の和室に取りに行こうとした際、平石らに対し、「ここで待っててくださいね。」と告げ、平石らも、「はい。分かりました。」と述べたと主張し、甲10及び静香の証言中にこれに沿う部分がある。

しかし、静香は、湯原が奧の和室について来るのを制止せず、静香が領収書綴りの入った箱を持ち運ぼうとした際に中味を尋ねられたのに対しても普通に応答し、何らの抗議もしていないことは前記認定のとおりであって、右事実によると、静香は、湯原らが同行して奧の和室へ移動することを容認する意思であったと認められ、静香の右証言等は採用することができない。

(三) 控訴人は、静香は寝室に入室する際にも湯原らに対し、「ここで待っててくださいね。」と告げて入室を拒否する旨の意思を明示し、湯原らも「はい。分かりました。」と述べて静香の意思を確認したのに、湯原はこれを無視して寝室に入室した旨主張し、甲10及び証人静香の証言中にはこれに沿う部分がある。

控訴人作成の被控訴人への請願書(甲5)には、「金庫の鍵の置き場所は自分の子供にも言ったことがなく、プライバシーの領域なのに見ず知らずの税務職員が鍵の隠し場所を見ていたので腹が立って」とあり、八月二一日当日の話合いの経緯からみても、控訴人らの関心ないし湯原らへの抗議の中心的なものは、寝室入室というプライバシーの保護の問題というよりは、同室内に置かれた金庫とその鍵及び金庫の内部の書類の秘匿の問題にあったと認められる。しかし、金庫と鍵が寝室に置かれていた以上、静香が湯原らの寝室入室それ自体についても拒否的な感情を抱いていたことは推認されるところであり、静香が湯原を寝室から押し出して、「税務署は寝室にまで入っていいのか。」と言って抗議したことから見ても、静香が湯原らの寝室入室を予想し、かつこれを黙示的に承諾していたと認めることはできない。

しかし、静香が湯原らに対し、奧の和室と同様に「ここで待っててくださいね。」と告げ、湯原らが「はい。分かりました。」と述べたとの点については、奧の和室については右趣旨の発言をした事実が認められないことは前記のとおりであるし、証人湯原及び平石は、寝室について静香が右趣旨の発言をしたとの点についてはこれを強く否定しているところである。

のみならず、静香に湯原らの寝室入室を強く拒否する意思があり、かつ湯原らの無断入室の危険を感じていたというのであれば、何よりもまず寝室への引き戸を締め切るなど入室拒否の意思を明確に示す行動をとるのが当然と思われるところ、静香が引き戸を同人が入室した状態のまま開けていたことは前記認定のとおりである。

もっとも、静香の証言中には、何をしているかと思われるのも嫌だったから引き戸を開けたままにしていたとの部分があるが、入室を制止したとすればそれ自体が湯原らに同様な疑念を生じさせるものと思われ、静香の右証言はにわかに採用することはできない。また、静香の証言中には、一旦は開けた引き戸を四五センチメートル程度に閉め直したとの部分があるが、他方では、「初めから四五センチメートルしか開けなかった。」、「確か閉めたような気もしたなと思っているだけである。」との趣旨の部分もあり、引き戸を閉め直したとの静香の証言についても、これを採用することができない。

以上の諸点に平石及び湯原の証言等を総合すれば、前記のとおり、静香は、寝室に入室する際、湯原らが寝室に入室することを予想せず、そのために、入室を制止しあるいは引き戸を閉めるなど入室を拒否する意思を明確に示さなかったものであり、湯原もそのような静香の対応もあって、奧の和室など他の部屋と同様に静香が寝室への入室を黙示的に承諾しているものと思い、静香のあとに従って入室するに至ったものと認めるのが相当である。

なお、控訴人は、甲4の内容から控訴人の寝室無断侵入の事実は湯原もこれを認めており明らかである旨を主張する。確かに甲4には、静香の「うーん。ほんでね、それは結構ですよと言うて、ほな待ってくださいね言うたのにね、寝室まで入って来られて、私きつう怒ったんやわ。そやね、あんた。」との質問に対し、湯原が「はい、そうです。」と答えている部分がある。しかし、湯原の右の答が、静香の入室を制止したとの部分を含めて右質問全体を肯定する趣旨か、それとも湯原が寝室に入った際という単に静香が怒った場所ないし時間を限定して肯定する趣旨かは一義的に断定することはできない。

また、静香が「ほしたらね、私がね、そこへ入っていくのにね、ちょっと待ってくださいよと」と言ったことに対し、湯原が「はい」と答えている部分もあるが、右録音テープには湯原らが単なる相づちの意味で「はい」と答えている部分が多々見受けられ、右の部分もこのような単なる相づちであった可能性は否定できない。

しかも、もともと甲4は、控訴人や静香において後日の証拠とする意思のもとに、録音されていることを知らない湯原らに対してなされた会話の内容を示すものであって、両者間で自然になされた会話に比較して信用性において乏しいものがあることも否定できない。

したがって、甲4をもってしても、静香が湯原らに入室を拒否する旨の意思を明示し、湯原が静香の意思を認識しながらこれを無視して寝室に侵入したとの事実は、これを認めることはできないものというべきである。

(四) 控訴人は、八月二一日の調査中に静香が三回にわたって寝室に出入りし、二回目のときに湯原が入室したと主張し、静香の証言中にはこれに沿う部分がある。しかし、静香が寝室に入室した回数及び湯原が入室した時期については、静香が事実経過を記載したものと認められる請願書(甲5)、控訴人作成の異議申立書(乙17)、甲10の各記載には食い違いがあり、控訴人の右主張及び静香の証言はにわかに採用することはできない。

また、平石が静香と共に寝室に入室したとの点について、静香の証言中にはこれを否定する部分があるが、前記のとおり、平石は、自ら寝室に置かれた金庫の中で見た封筒様の物について静香にこれを確認したことが認められ、この点の事実関係は前記のとおり認定するのが相当である。

5  同九三頁一〇行目から同九四頁七行目までを削除する。

6  同九七頁一行目から一〇二頁四行目を次のとおり訂正する。

「2 この見地で本件を見るに、前記認定の事実、前掲各証拠(ただし、信用しないものは除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は、八月二一日に平石らに対し控訴人の業務に係る帳簿書類を提示したものの、その後は平石らの税務調査において無断寝室入室、脅かしの言動等の違法不当な調査行為があったとして、被控訴人の部下職員の再三にわたる要請にもかかわらず、謝罪のない限り帳簿書類は見せられないとして、その提示を拒否したことが認められる。

そして、この点について、控訴人は、湯原らの違法不当な行為に対する謝罪を求めて帳簿書類を見せなかったことには正当な理由があると主張するが、以下のとおりこの主張は採用することはできない。すなわち、前記のとおり、静香が湯原らの寝室入室について、黙示的にもこれを承諾していたとは認めることはできないが、同時に、静香が湯原らに対し寝室入室を拒否する旨の意思を明示し、湯原が右の意思を認識しながらこれを無視して入室したとの事実もまたこれを認めることはできない。

もっとも、静香が他の部屋への入室を承諾していたからといって、寝室への入室までも容認していることにならないのであるから、湯原が寝室に入室する際には改めて静香の承諾を求めてその意思を確認しておくべきところ、静香が右承諾の意思を明示していないことは平石及び湯原自身もこれを認めるところである。したがって、本件においては、湯原の寝室入室行為について問題がなかったとは言えない。

しかし、静香の関心及び湯原らへの抗議の中心的なものは、夫婦の寝室と言うプライバシーの保護というよりは、金庫の鍵の所在場所と金庫内の書類の秘匿にあり、その後平石らの説得に応じて静香が平石が寝室に入ることだけは許容したのもそのゆえであったと認められる。

そして、同日の平石らと控訴人及び静香との話合いにより、金庫内の書類の提示要請は控訴人らの要求どおり平石らがこれを断念したことにより、他方、寝室の金庫の鍵の問題を含む寝室入室問題は平石らの説得に応じて控訴人らがこれを宥恕して決着をみたことにより、静香も寝室から預金通帳を持ち出して平石らに提示したものであり、このような経緯から、控訴人自身も同日午後における帳簿書類の提示に同意を与え、八月二五日には被控訴人に電話連絡をして二回目の調査に来るように求めたものと認められる。

ところが、控訴人らは、その後谷村建設から非難めいた指摘を受け、これが被控訴人による不当な反面調査によるものとして感情を害するなどした結果、その後第三者の意見を聞くに及び、再度寝室の立入り問題等を取り上げ、帳簿書類の提示を拒否するに至ったものと認められる(なお、本件においては、右反面調査が違法であると認めるに足りる証拠はない。)。

したがって、八月二一日の後における帳簿書類等の提示拒否は、もともとは被控訴人から謝罪等を求めるまでの意思のなかったことか、一旦は決着を見たものを、再度取り上げたことによるものと言うほかはない。

そして、本来、税務署職員の違法行為の存否及びこれに対する謝罪の要否は、青色申告者の帳簿書類の提出義務とは別個のものであるし、右認定の湯原の寝室入室後の交渉の経緯などの諸般の事情を総合考慮すれば、前記のとおり湯原らの寝室入室行為について問題がなかったとは言えないものの、このことを理由に控訴人が帳簿書類の提示を拒否することは許されないものと言うべきである。」

三  以上の次第で、本件請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法六七条、六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 見満正治 裁判官 高橋文仲 裁判官 辻本利雄)

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